長期休養に入られる前日の放送を聞いていて、「あれっ?」と感じる部分があった。声のトーンや言葉と言葉の間がいつもと違うなと。
でも、その前の2週間のお休み明けも、そんな感じだったので喉の調子が良くないのかなと。
そして本日、αステーションの公式ページにも「大切なお知らせ」として掲載され、ツイッターでもつぶやきが飛んでいますが、6月3日に佐藤弘樹さんがお亡くなりになっていたというコメントが。
僕の場合、はじめてプログラマーとしてアルバイトをした会社が、京都市内にありました。最初は烏丸竹屋町東入。その後、丸太町智恵光院へ移転。そこはシステム開発会社っぽく、自由なところでしたので仕事中もラジオを聴きながら仕事をしてOKでした。
ですから、αステーションは試験放送からのリスナー。まだ放送局が京都北山にありました。ハンズ北山のちょい奥。法律文化社という出版社が近くにあったのを覚えています。
そして、αモーニングのDJが佐藤さんになる前、京都のオーティス・レディングとも呼ばれていたボーカリスト渡辺大之信さんのときから聴いています。
渡辺さんも48歳だったかな、急に亡くなられ(今の僕より若い)、その後1年くらいはDJさんが固定せず、93年くらいでしょうか、佐藤さんが登場。今やαステーションの顔でしたから、63歳で亡くなられたこと、大変寂しく思います。
佐藤さんの独特な視点。
ときに斜めな意見。
かなり長期間話題に登場した「忖度」へのこだわり。
「そこまで言って大丈夫ですか?」と感じるような話もありました。
会社勤めをしていた時期。
超ブラックな環境の現場に行っていた時期。
行くのがイヤだった朝。
サラリーマンを辞めてから。
いつも朝は「おはようございます、佐藤弘樹です。」の声から。
人って、本当にいつまで生きられるのかわかりません。
健康に暮らせる間に、やりたいことをやっておくことが大切だなと。
佐藤さんの番組を聴いておられた方には、それぞれの佐藤さんがいらっしゃることでしょう。
それぞれの佐藤さんに「ありがとうございました」とお伝えできればと思います。
佐藤さん、天国で駄洒落言いまくって、神様をあきれさせてください。
追伸:
ボス・ザ・ゴールドで佐藤さんとお話ししたかったなと思います。
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